豊丘時竹のエッセイ

エッセイにまとめたものを載せます

年賀状さまざま

 お年玉くじのついた年賀はがきがはじまったのは、昭和二十四年だそうである。この年、年賀状の取扱量は大きく伸び、そしてその後も増加を続け、平成九年に三十七億通のピークに達した。その後は減少に転じ平成二十八年には二十二億通にまで減少したという。これがインターネットを検索して拾った年賀状全体の最近の推移である。

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 それでは個人個人では年賀状はどのように扱われてきたのか。それを私がいただいた年賀状から考察してみようと考えた。その最初の一つは、正月明けに会うのが分かっている人へは、年賀状は本来は差し上げないものなのではないか、というものである。

 このことを教えてくださったのは、小学四、五、六年生の担任だった先生である。先生は、ご自分への年賀状は在学中は出さないようにと言われ、もらっても返事は出さないが、しかし君たちが卒業したら出すよと言われた。言われたそのころは何も考えずに、そうしたものなんだなと思い、小学生の間は私は出さなかった。卒業してからは毎年お出しして、お返事をいただいた。今になってみれば先生の言われたことはもっともなことである。正月休みが明ければ必ず会えるのに、年賀状で挨拶する必要はない。

 しかし一般にはどうも必ずしもそうではないようだ。つまり一つは、年明けに会うからこそ年賀状を出しておくのである。少しでも印象づけておきたいのではなかろうか。以後会わないなら印象づける必要はないから、年賀状も必要ないのである。どうおもそれが常識に近いもののようだ。逆に別れてしまえば年賀状は必要ないものになる。

 二つ目は、簡素にかくものらしい。場合によっては出来合いの文言のついた年賀状でもいいらしい。いただく多くは簡素に一年のご無沙汰をお詫びするというものである。それでいいのだと思う。年賀状が届いたのが、元気で暮らしている証拠だからである。

 私は逆で、年に一回のおたよりの人も多いので、旅行などしたときは女房ともどもの内容で送ったりして、かなり細かくお知らせしてきた。最近では病気の状況などを知らせたりしてきた。そうするものだとこれまで考えてきた。そのおかげで、「帯状疱疹にかかった」と、お知らせした翌年、「二十年前に自分も帯状疱疹になって、いまだに患部が痛む」と、教えてくださった方がおられる。それで私も生きている間に痛みが消えることはないな、と覚悟を決めたものである。

 十代前半から六十年以上にわたり、年賀状を差し上げ、またいただいてきた。これからもそれなりに詳しく書いて出すつもりでいる。だから私の出したものは、私の履歴にもなるのである。それらはある年代以降のものはすぐに出てくるが、古いものはたぶん処分してしまっていよう。いただいた年賀状の方は押し入れにしまい込んだままだから、どこから出てくるかは見当がつかない。

 三つめは、偉い人、という言い方が正しい言い方かどうかは分からないが、師匠筋の人や有名人から返事がないのは、それが当たり前だと言ううことである。こちらから出すだけでいいのだと私は考えている。しかしそれでもお返事をくださる人はくださるのである。

 四つ目は、年賀はがきを連絡に使う方がおられるのを知ったことである。用事のある時期が年賀の時期と重なると年賀状を使うようなのである。もちろんその方からは用事がなければ、年賀状はともかくお返事も届かない。

 そんななか、今年は大きな節目になったような気がする。一つは、連れ合いの方ないしはご子孫の方から喪中のお葉書が多数届いた。私は、亡くなられた方々とは知り合いであるが、連れ合いの方やご子孫の方とは面識がないから、そこでご連絡は途絶えてしまう。やむを得ないが、さびしいものである。

 もう一つは終活年賀状である。今回の年賀状を最後に次年度からは失礼するという年賀状である。「終活」という活動がじょじょに年配者にうけいれられつつあるが、その年賀状版である。もちろん年配者からのものが多いが、私より若い方のものもあった。

 これに関しては、遠方に住まわれていてお会いする機会がほとんどない方からのものは、受け入れているが、終活年賀状をいただいた方とお会いしたりしたときは、どんなお話をしていいものか、いっしゅん戸惑ってしまった。その方が何かの拍子にべつの方と年賀状のお話をしているのをそばsで聞いていたりするのは、平気な顔はしていても、どこか落ち着かなかった。私は終活年賀状は受け入れるが、今は私の方からそれを出す気はない。私よりずっと年配の方から、年賀状はおろか、しばしばおたよりもいただいたりするのである。私に、「まだまだがんばれるぞ」と応援してくださっているのである。

(NHK学園 エッセイ教室 2/5/H31(火)提出、2/16/H31(土)添削後返却さる。本文は添削されたものをアップした。5/11/R1(土)アップ完)

 

   リフレーン1

 防衛キャリア30年太田述正

 最大の安全保障はアメリカからの独立                                                                            https://www.ohtan.net/report/pdf/ohtan-blogtitle.pdf

 

 

 リフレーン2

 日本と中国をいつまでも仲違いさせておくことは全欧米諸国の、ここ百年の基本戦略である(藤原正彦管見妄語」162、週刊新潮31号、平成24年から)