豊丘時竹のエッセイ

エッセイにまとめたものを載せます

授業とその試験2

大学の教師をやめて十年以上過ぎた。もうその仕事、特に私が行った授業について私が評価しても、誰かを傷つけるとは考えなくてもいいだろうと考えるようになった。教養課程の生物学の授業である。 教師のあいだに授業を批判されて、それに対して反論しなかっ…

心境の激変

大きな心境の変化があった。教授を誕生させるための努力を私はしなかった。外から若い教授がやってきてしまった。もう少しかかわりあってもよかった人もいた。ノートにはもっとはっきり書いているが、ここではこれ以上は書けない。八時ごろ歯を磨いていて洗…

授業とその試験

大学の教師をやめて十年以上過ぎた。もうその仕事について評価してもいいだろうと考えるようになった。 教師のあいだに批判されて、それに対して反論しなかったことが一つある。授業に対する学生の評価が、難し過ぎるというのに、学生の成績がよすぎるという…

覚えてもらいたいこと考えてもらいたいこと

大学教師をやめて十年以上経った。そろそろ教師時代の出来事を書いても、誰かに迷惑がかかる心配もあるまい。それで書いてみる。その第一が講義の実施方法についてである。 定年退官する前の数年間は、教養科目の生物学を担当していた。その試験結果とさる委…

目の人耳の人

私は四十年ほど畜産学の研究者として過ごしてきた。その間の初期の六年は実験動物としてマウスを使っていた。 動物の多くは長い顔をしている。その先端に端がある。マウスは長さ三十五センチ、幅二十センチほどのゲージで飼育していた。床じきのワラなどを交…

貴乃花・日馬富士・稀勢の里

貴乃花・日馬富士・稀勢の里という三人の元力士の名前をとって題としたが、その目的は、大相撲に対して圧倒的な勢力を誇示しているモンゴル勢と貴乃花との対立を軸に、この三人に起こった出来事を述べつつ、大相撲について考えてみようと言うのである。もち…

年賀状さまざま

お年玉くじのついた年賀はがきがはじまったのは、昭和二十四年だそうである。この年、年賀状の取扱量は大きく伸び、そしてその後も増加を続け、平成九年に三十七億通のピークに達した。その後は減少に転じ平成二十八年には二十二億通にまで減少したという。…

男性差別社会

「男性差別社会」。このように表現していたと思うが、この言葉は太田述正さんの造語である。意味するところは、男が女性より不利に扱われているということである。今の日本の社会通念とは逆だから戸惑われるかもしれないが、わけはこれから説明していこうと…