豊丘時竹のエッセイ

エッセイにまとめたものを載せます

貴乃花・日馬富士・稀勢の里

 貴乃花日馬富士稀勢の里という三人の元力士の名前をとって題としたが、その目的は、大相撲に対して圧倒的な勢力を誇示しているモンゴル勢と貴乃花との対立を軸に、この三人に起こった出来事を述べつつ、大相撲について考えてみようと言うのである。もちろん話の中には元力士の貴ノ岩も含まれるが、中心は表題の三人である。

 直接の発端は貴ノ岩に対する日馬富士の暴力事件でである。この事件は、二〇一七年九州場所直前に起こった。ネットにはいくつもかなり詳しく報告されているが、そのどれとは決めずに自分なりにまとめておく。

 鳥取巡業を控えた二〇一七年十月二十五日夜に、地元の高校関係者と白鵬日馬富士鶴竜の三横綱、同校のOBの照ノ富士貴ノ岩石浦の三人を含む十三人の食事会が開かれた。さらに二次会が午後十一時過ぎから翌二十六日午前二時ごろまであった。二次会の席で、貴ノ岩日馬富士から、素手で顔面をたたかれたりカラオケのリモコンで頭部を数回殴打されたりした。

 そこにいたるには、白鵬に説教されている時に貴ノ岩スマホをいじっていたなどの理由もあったようだが、殴って頭部にけがを負わせ、最終的には鳥取警察署に貴乃花とともに貴ノ岩が被害届けを出したことで、日馬富士が五十万円罰金に処され、自主的に引退することになった。この件で貴乃花相撲協会との関係が悪くなり、後日貴ノ岩が付き人へ暴力をふるったという理由で、協会を去り、日馬富士貴ノ岩に対する暴行事件は一応の決着を見た形となった。

 貴ノ岩日馬富士に対し損害賠償を求めていたが、それがモンゴルで貴ノ岩の親族へのバッシングを呼び、結局取り下げた。

 貴乃花とモンゴル一派の対立があからさまになった出来事である

 が、しかしそもそもの始まりは、貴乃花の外国人力士に対する思い込みが根底にありそうである。貴乃花は大相撲は日本人横綱が取り仕切る必要があると考えていたようだ。

 貴乃花が現役のころはハワイ勢が大相撲に君臨していた。貴乃花が引退間際のころ、右ひざに大怪我を負い、その状態でたしか優勝決定戦だったと思うが、横綱武蔵丸を倒して二十二回目の優勝を果たした。鬼の形相だったと報道された。ハワイ勢をことのほか強く意識していたように思える。引退してからは、それがモンゴル勢に向けられた。

 日本人対モンゴル勢の対立は稀勢の里横綱になったことによって顕在化したらしい。これは私の考えではない。小林信也氏<作家、スポーツライター>の言葉がネットに残っている。「稀勢の里が火をつけた『日本VSモンゴル』仁義なき抗争」という記事の中で、「稀勢の里を中心とする日本勢と白鵬日馬富士らのモンゴル勢の『洒落にならない対立』の様相が深刻化している」という。それが端的に現れたのが、二〇一七年三月の春場所十三日目の、厳しい相撲で稀勢の里を負傷させた日馬富士との対戦だった。小林氏は先の文言の少し後に以下のように書いている。

「意図的とは言わないが、ただならぬ厳しさがあったのは、ただの相撲の一戦ではなく、それ以上に腹に抱えるものがあったからだと指摘する関係者が」少なくない」

 私は逆である。むしろ意図して壊してやろうという意識で突っ掛かっていった、と感じた。それがものの見事に成功した瞬間だった。稀勢の里は、その場所は奇跡的に優勝したが、それからは復活せずに引退した。白鵬、ひいてはモンゴルの天下は二〇一九年春場所でも続いている。稀勢の里を潰し、貴乃花を追い出し、自身は引退したが、結果としてモンゴルの天下を続けさせるのに成功した。日馬富士はさぞかし満足しているのではなかろうか、とまあこれは悪しきナショナリズムに私が毒されているからの言葉である。

 貴乃花は、このモンゴルの天下を覆そうとして戦ったと言えば許されるというものではなく、ちょっと行き過ぎた行動もあった。巡業中に白鵬だけがまだ戻ってきてないのに、バスを出発させたりなどの行動があったりしたという。ただこれはネットでちょこっと見たときの記憶である。再度確かめてはいない。

 日本人対モンゴル勢の対立の中で、貴ノ岩の事件があり、大相撲協会当局から煙たがられていた貴乃花は、事件について協会に報告しなかったのを理由に体よく追い払われてしまった。協会はうれしかったに違いない。

 私は今後は貴乃花は何としても参議院議員になってもらいたいと考えている。貴乃花の日本人y中心は度が過ぎたが、白鵬の千秋楽の万歳三唱や三本締めあ、知らないとは言え思い上がりであろう。モンゴル互助会などの言葉さえささやかれる大相撲に、多少の外からの圧力はあってもいいと考える。

 

この夏の参院選貴乃花  20190623 0815記